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<本文から> (それほど気をつかってきた養父が、わぎわざ蘭方書生のおれを選んで養子にしたのは、よほどの勇断だったのだ)
とも思った。ということは、養父がこの良噸を買うところがよほど高いということでもある。士はおのれを知る者のために死す、というではないか、と思いなおしたりした。
そのこともある。
それ以上に良順の心をゆさぶったのは、登喜の寝姿だった。登喜は、泣きながら眠ったらしい。懸念やら悲しみやらが夢にまで出てきているのか、ときどき泣きじゃくっているような動作をした。それを見ていると、
(登喜と添い遂げたい)
という激しい感情が、血の中に塩酸がまじったような感じで涙腺や鼻腔の粘膜を襲った。
(死にぐるいになって、六十日で漢方の書誓願えて憶えて憶えぬいてみるか)
と、覚悟した。
明け六ツ(午前六時)の太鼓が鳴る前に、良順は養父の部屋の前の廊下にすわった。毎朝の日課である。ふつうは、ただ明り障子越しに朝のあいさつをするだけだが、この朝、ひとこと付け加えた。
「きょうより六十日間、漢方をやってみます」
といった。
養父の良甫は、激しく行動した。障子をあけて出、良順のそばにかがむなり、養子の手をにぎりしめた。おそろしいほどのくそ力で、良順は痛さに閉口した。
漢方の書籍は、養父良甫の蔵書を借りることにした。
「なるぺく基礎からやれ」
と養父はいったが、良順は従わず、多紀楽真踪の底意地の悪い性格から考えて難問を出すのにちがいない、それならば一人前の漢方医にしてはじめてわかるような書物を、いっそ丸暗記してしまいたい、といった。
「しかし基礎をやらねば、将来役に立つまい。折角の機会だから、漢方というものの考え方を身につけておいてもわるくあるまい」
「どうせ喧嘩でどぎいましょう?」
良順は、どすの利いた顔をした。
「喧嘩のために憶えるのでございますから、喧嘩がのちのち身の役に立ちませぬように、ともかくも今は喧嘩に勝つだけの手を考えるがよいかと存じます」
「喧嘩か」
養父良甫は、声を立てて笑った。
「そのとおりだ。よく考えてみると、いまから基礎をやったのでは、何年かかるかわからぬ」
「どのような書物を読めばよいか、お教え下さいませぬか」
(医者にはほ惜しい面構えだ)
と、養父良甫はおもった。良甫がきいているところでは、良順の祖父は医者でも武士でもなく、出羽の鳥海山の西麓の野から江戸に出てきた悪党とも才覚者ともつかぬ男で、度胸と智恵で旗本の用人になり、目に一丁字もないの主家をみどとに切り盛りするほか、大名を相手の訴訟事までやり、悪たれ藤助とよばれた人物だった。
藤助の子の佐藤泰然はおよそ藤助の子とは思えぬほどに温和でけれん味のな性格だが、養父良甫の見るところ、悪たれ藤助の血はこの良順にひきつがれているらしい。
養父良甫は、良順の作戦に従い、書籍を貸しあたえた。多紀楽真掟の先祖の多紀元徳(永寿浣)とその子の桂山に著書が多い。
「多紀楽真院は、こういう先祖の功業に拠って威張りかえっているのだ」
といって、まず元徳の著書をとり出した。 |
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