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<本文から>
弾正は小走りに庭へ出た。
そこに、陽射しをうけて光る白い石の群れがあった。
(どこじゃ)
果心の姿がみえない。
きょときょとと探していると、不意に目の前の石が動いて、
「ここじゃ」
と笑った。果心が、のびやかに石にもたれ、あごを空にむけて寝そべっている。
「なに用じゃ」
「別れにきた。ながいつきあいであったが、梵の命ずる運命は詮もない」
「ほう、どこぞへ行くのか」
弾正はほっとした。京の婦女子の好きなお伽草子にそのようなことが書かれていた。疫病神の去るときは、かならずあいさつに来るものだと。−弾正は自分でもたまげるほどの明るい声を出して、
「いずれへ行く」
「行くのは、おぬしじゃよ」
弾正が死んだのは、その日の翌日である。
死に至るまでに多少のいきさつがあった。城は、貯蔵されている糧食、硝薬の量からみてまだ一月は持ちこたえられるはずであったが、弾正の策に軋騎があった。三日ばかり前に一人の家士をよび、
「石山の本願寺へ使いせよ」
と命じた。法主顕如に手紙をもたせて援兵を乞おうとしたのである。が、弾正の不運はこの家士の閲歴にあった。かれは筒井家の譜代相伝の侍で、かつて順慶が一時所領をうしなったとき、主家を出て弾正に仕えた男なのである。人を信じないことで生涯を送ってきた弾正は、最後になって小児のような無邪気さで人を信じた。男は信貴山を降りると石山へはいかず、順慶の陣へ行ってその旨を明かした。
「弾正、もうろくしたな」
おりから干し豆を噛んでいた順慶は、あやうく豆が気管に入るほど笑ったという。順慶は早速二千の精兵をととのえ、本願寺兵に仕立てて城内に送りこんだのが、果心が別れを告げにきた翌夜半であった。未明とともにその兵が城内で蜂起し、同時に織田方は総攻撃を開始した。数刻で城はおちた。弾正は秘蔵の平蜘蛛の茶釜を微塵にくだき、わが手で命を絶った。−むろん果心といえども、弾正のこんな最期まで予見していたわけではなかろう。会いにきたのは、この男なりの予感があったからにすぎまい。 |
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