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<本文から>
さて余談ながら、この小説は大変革期というか、革命期というか、そういう時期に登場する「技術」とはどういう意味があるかということが、主題のようなものである。大革命というものは、まず最初に思想家があらわれて非業の死をとげる。日本では吉川松陰のようなものであろう。ついで戦略家の時代に入る。日本では高杉普作、西郷隆盛のような存在でこれまた天寿をまっとうしない。三番目に登場するのが、技術者である。この技術というのは科学技術であってもいいし、法制技術、あるいは蔵六が後年担当したような軍事技術であってもいい。
ただし伊藤雋吉が蔵六の塾にいるこの時代は、まだ革命情勢の未熟期にあり、松陰のような存在が生命の危険を賭して思想を叫喚しているときで、戦略家の時代でさえない。まして技術者の時代がきていない。が、技術がそろそろ時代の招び出しをうけようとしていた。 |
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