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<本文から>
勘兵衛の記憶では、冬ノ陣のはじまる前の修理は、徳川幕府と戦うというこの大ばくちについて、まだ多少は懐疑を残し、ためらいがあったように思う。冬ノ陣で一戦して優勢を保ちつつも和睦する気に彼がなったのは、この最初からあった心の中のためらいが拡大したからであろう。
ところがいまやためらいもない。
「国持大名にしてやる」
と、本気で勘兵衛にいう。
(修理にかぎらず、人間というものはそのようなものであろうか)
勘兵衡は、自分自身も人間であることを忘れ、修理においてふしぎな生き物を見るように見た。
考えてみよ。
と、勘兵衡は思う。
(冬ノ陣がはじまる前、この古今比類なき名城には、まだ外濠も内濠もあった。さらにはまた、修理がさかんに楽観説をのべていたように、豊臣恩顧の大名たちが大挙救援にくる、という希望的観測があった。その上で冬ノ陣開戦の勝利戦略が構築されたのだが、いまはそのすべてがない。
ただの裸域があるだけでありながら、修理の心には逆にためらいが消え、信念だけが底光りに光っている)
おそらく、やや有利かもしれぬという客観状勢にとりまかれているときは、人間の思慮は客観状勢という対象現象に対して計算力が働くのであろう。たとえば冬ノ陣の前、修理は勝利の見通しについてこういうことをいった。
「島津と毛利はかならず味方する。前田と伊達はあやしいようだが、当方に勝ち旗があがりそうになればどっと御味方になだれ入るであろう。福島はまぎれもなくお味方であり、場合によっては池田や浅野もこちらへ寝返るはずだが、この二つが寝返らずともまずまず算木の勘定はあう」
勘定すべき客観的な数字というものがあったのだが、いまはそのすべてがない。いっさいの見通しが、修理の主観の世界から出たり入ったりしている。となれば、信念である。大野修理亮治長は信念の人たらざるをえず、信念の人になったがゆえにかれの眼光にかつてない底光が宿るようになった。しかも、たえず上唇がめくれ、目もとが笑みくずれて、もう四十の半ばをすぎているというのに、気味わるいばかりの童故になる。
「よいかな」
「心得て侯」
と、助兵衛はひとまず答えてから、首を垂れ、深く思案する様子をつくった。 |
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