司馬遼太郎著書
ここに付箋ここに付箋・・・
          伊賀の四鬼

■賎ケ岳の合戦前に忍者の戦いがあった

<本文から>
 そのとき欄間のむこうに異様な影が映った。
(おお)
 火が隣室のふすまを焼きつくしてどっと噴きこんできた。その紅蓮のなかに、巨大な愛染明王の姿が立ちはだかったのである。
 その像は、真紅の身をもち、頭に獅子冠をいただき、眼は三つ、忠恕の形相もすさまじく、六つの手にそれぞれ、金鈴、金剛弓、人頭、五峰杵、金剛箭、蓮華をもって赤色の蓮花の上に坐していた。
「来よ、耳無」
 像がいった。耳無は、ゆっくりと立ちあがった。
(幻戯じゃな、たぶらかされまいぞ)
 突進すれば、火中に巻きこまれて焼死することは必定であった。
 耳無は仁王立ちのまま、うごかず、紅蓮の映像をにらみすえていた。
 やがて火が耳無の足もとに這いより、髪が焦げ、忍び装束のそでが燃えはじめた。
 耳無は、なおも堪えた。眼をそらせばこの像が自分にのしかかることを知っていた。
 耳無は、肉の焦げるにおいをかいだ。
 自分の肉が焦げただれようとしている。まるで、耳無自身が火を背負った不動明王に化したかとおもわれた。
 そのとき、ようやく眼の前の映像がうすれはじめた。耳無ははじめて眼をそらし、あたりをみた。すでに眠が焼けておぼろげにしかみえなかったが、耳無の心眼はそれをみた。恍触は土間のすみにいた。そこに黒々とした影がうずくまって、眼を青くひからせてこちらを見ていた。
 耳無は跳ねあがった。
 影は、逃げようとした。耳無の一刀が背を裂き、さらに腰を串刺しにしたとき、影ははじめてみじかい悲鳴をあげた。意外にも可憐な女の声だった。
 が、耳無は、それをたしかめる体力も余裕も残されていなかった。かろうじて火をのがれ、裏山の雪の中にみずから身をうずめて、しずかに失神した。
 鵜蔵が、杉蔵の小屋での襲撃からのがれて、山崎宝山寺の陣中にもどったとき耳無もすでに陣中にもどっていた。全身がやけただれ、黒い油薬をぬっているためにすさまじい姿にみえた。
 「おお」
 とそのあまりのむごさに鵜蔵は声をあげたが、耳無はむしろ鵜蔵をねぎらった。
 「よく生きてもどれたな」
 声は存外元気だったが、すでに眼に光はない。
 「わしはな、そちをオトリにした。杉蔵の家に愛染の人数をひきつけておいて、その手薄につけ入って嘉兵衛屋敷の愛染を討つつもりであった。それがうまくいった」
 「大坊主を仕とめたわけでおじゃるな」
 「愛染は、大坊主ではないわ。小若という仮り名のついた女であった」
 「まさか」と鵜蔵はわらった。
 「あの若いおなごが、愛染ではおじゃるまい」
 「化性のような者じゃ。おそらくあれほどの腕ならば六十は越しているであろうが、最初、杉蔵の家でわしに姿をみせたときは、二十二、三にこしらえていた。がわしは、はなしにだけはきいていたあの者の愛染明王示顕の紗技を、この眼でまざまざとみることができた。これだけは語り草になる」
 その翌日、最後の「伊賀の四鬼」である湯舟ノ耳無は死んだ。
 賎ケ岳の合戦は、天正十一年四月二十一日の天明、秀吉の突撃令によって幕をあけ、同日没の勝家北走によって終結したが、そのわずか数カ月前に、この戦場で柴田方と羽柴方の忍者の戦いがあったことは、伊賀甲賀の伝説だけがつたえてる。 
▲UP

メニューへ


トップページへ