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<本文から>
遼東の地で、総司令官の洪承疇や外伯父の祖大寿が女真側に寝返ったとき、呉三桂だけはかれらに倣わず、脱出して遼西の寧遠城にもどり、明将として孤忠を立て、孤塁をまもった。あのときの行動も、じつは窮地での跳ねっかえりだった。たまたまそれがあとで忠と解釈されたにすぎない。
いま、呉三桂は奇妙なことを口走っている。陳円円を買うのに、周嘉定伯に多額の金銀を支払ったが、そのわりには数夜しか寝ていない、というのである。
「さすがに、わが閣下はたいしたものだ」
楊坤は、大きく笑った。
「閣下のあきらめのよさよ」
楊坤は、そういうふうに、この場の空気をとりつくろおうとした。
呉三桂が、陳円円と三夜寝たとすればそして身うけ金が三千両であった場合一夜が千金の値いになる。まことに豪快で、皇帝といえども味わえぬ風流というべきではないか、と楊坤は囃したのである。
「あわれ、一篇の名詩を読む思いがいたします」
と、楊坤はいった。
「ばかな。−」
呉三桂は不覚にもそれに乗らなかったばかりか、顔じゅう口にしてしまったような憤りとともに、怒号してしまった。
「山海関の門を開けろ。−」
このひと声が、歴史を変えた。
清軍を明の本土になだれ込ませろ、といったも同然だった。
明のために山海閑の大関門を守ってきたこの将軍が、その任務を放棄したばかりか、異民族を洪水のようにこちら側に入れさせるという。
史上、呉三桂ほど、劇的な立場にいた者はいなかった。
この場にあっては、歴史はただ一枚の関門の扉で潮流を変えようとしている。
呉三桂がそれを内側からおさえ、もしそのまま閉じつづければ、李自成の「順」という漢族の帝国ができたろう。山海関を開けることによって、異民族の清が成立した。
かれは、漢民族の国土そのものを売った。
動磯は、女だった。漢民族の一将が、陳円円をうばったことに憤り、面当てとして異民族に国を売ったことになる。 |
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