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字は玄徳。琢郡琢県に生まれる。前漢の景帝の玄孫。幼くして父は亡くなり、わらじやむしろを作って、生計をたてて暮らしてきた。劉備は身長7尺5寸、両耳が肩まで垂れていて、目で自分の耳を見ることができた。手は膝の下まで届く長さがあり、顔は白玉のよう、唇は紅を差したようだった。学問はあまり好まず、喜怒を顔に出さない。黄巾賊退治のための高札を見てた劉備に張飛が声をかけ、一緒に酒屋にはいる。酒屋では関羽が一人で飲んでいて三人は意気投合する。そして張飛の家の裏の桃園で義兄弟の誓をする。これが有名な「桃園の誓い」である。しかし流浪の身が続いていたときに、水鏡先生や徐庶の勧めで三顧の礼を尽くし、諸葛亮孔明を軍師として迎えた。呉の孫権と連合し、赤壁の戦いでは曹操軍を撃破。章武元(221)年には蜀の地で皇帝の位についた。その2年後、永安宮で病に倒れる。 |
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