三国志
 後漢時代の将

●張角(Chou-Kaku)(?-184)

 後漢末の宗教家。黄巾の乱の首謀者である。その出生などは謎のベールに包まれているが、もとは正統派官人を自認する人物だったと考えられている。症病治療と精神修養をかねた太平道の教祖として農民たちを救済。またたく間に信者を増やす。困窮をきわめた民衆たちの力を糾合し、後漢に反乱を起こす。自ら「天公将軍」、張角の弟2人を「人公将軍」「地公将軍」とした。しかし張角は病死し、反乱は鎮圧された。 

●董卓(Tou-Taku)(?-192)

 字は仲穎(ちゅうえい)、隴西郡生まれ。若いころから顔役を気取り、西方の異民族の羌族の酋長たと親しく交際していた。並はずれた腕力と騎射の技術を持っていた。黄巾の乱の鎮圧に乗り出すが、敗北を喫し何度か浮沈を繰り返す。その後、朝廷内の武官と宦官との暗闘に乗じて洛陽を制圧し、皇帝の廃位をするなど権力をほしいままにした。曹操は袁紹を盟主とした反董卓連合を作った。董卓は防衛上から都を長安に移す。しかし新しい都でも暴政と殺戮を繰り返し、遂に自らが皇帝になる野望を見せ始めた。宮廷内から反董卓勢力の中心者・王允の策によって側近になっていた呂布によって突き刺された。

●呂布(Ryo-Fu)(?-198)

 字は奉先。五原郡九原県に生まれ。弓馬の術と抜群の腕力を誇る呂布は、はじめ荊州の刺史・丁原に仕えていたが、董卓が赤兎馬を送ったので、丁原を殺し、董卓に寝返る。反董卓軍との戦いでは、劉備、関羽、張飛の3人相手で戦う。しかし、廷内から反董卓勢力の中心者・王允の仕組んだ連環の計にかかり、貂蝉をめぐり董卓と対立し董卓を殺してしまう。その後は流浪するが、遂に曹操に降伏するが許されず絞殺された。

●袁紹(En-Shou)(?-202)

 字は本初。汝南郡汝陽県に生まれ。四代続けて三公の地位にのぼった名門中の名門の出身であった。霊帝の時、首都の長官と警察権を司る司隷校尉に任じられる。その後、朝廷を牛耳る董卓に反旗を翻し、反董卓連合軍の盟主に推挙された。しかい目的が達せられず分裂する。動乱期に際しては、黄河北方全域を手中に収めたが、曹操との覇権を争って敗れて死す。

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