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字は仲穎(ちゅうえい)、隴西郡生まれ。若いころから顔役を気取り、西方の異民族の羌族の酋長たと親しく交際していた。並はずれた腕力と騎射の技術を持っていた。黄巾の乱の鎮圧に乗り出すが、敗北を喫し何度か浮沈を繰り返す。その後、朝廷内の武官と宦官との暗闘に乗じて洛陽を制圧し、皇帝の廃位をするなど権力をほしいままにした。曹操は袁紹を盟主とした反董卓連合を作った。董卓は防衛上から都を長安に移す。しかし新しい都でも暴政と殺戮を繰り返し、遂に自らが皇帝になる野望を見せ始めた。宮廷内から反董卓勢力の中心者・王允の策によって側近になっていた呂布によって突き刺された。 |
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