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<本文から> 「私は、つくづく将軍が気の毒になってきたんです。もう、旗本八万騎といったところで、本気で将軍のことを心配している人間なんかいやしない。みんな、自分のことばかり考えている。わが身かわいさで、本気になって、あの年若な将軍を守ってやろうなんて考えている人間は一人もいない。まあ、山岡さんなんかましなほうでしょう。しかし、その山岡さんでさえ、考え方が擁夷だ。つまり、朝廷と、この京都でうろうろしている志士達と考えていることは変わらない。
私達は、多摩に育った。多摩には、八王子千人隊というのがいる。千人隊の始祖は、もともと武田信玄の家来だった。それが、織田信長と徳川家康に滅ぼされて、遺臣が徳川家にかかえられた。それが母体になって千人隊になった。千人隊は、ふだんは農業に従事しているが、もし、徳川家になにかあった場合には、まっさきに駆けつけて、将軍を守る役目をおっている。今の千人隊も、おそらくそうするでしょう。私達は、そういう千人隊を見て育った。
江戸を発つ時から、私の胸に、小さな思いがあって、それが京都へ着くまでに少しずつ育った。その思いというのは、簡単なことですよ。私は、自分の生き方をこう決めたんです。それは、他の人間がどうあろうと、私達だけが、あの年若な将軍を、最後まで守り抜こうということです。
先生、先生達もおそらくそう考えていらっしゃると思いますよ。それを、私は、あした清河のあのペテンやろうにたたきつけてやろうと思っているんです。 |
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