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<本文から>
仕事の鬼が人間に戻るために必要だったこと
新井白石が隠居後に書きはじめた『折たく柴の記』が、自分の家の事を振り返りながら、実は参与した″正徳の治″の内容にこと細かく触れたのは、徳川政治史の一時を告げると同時に、白石自身の辿ってきた道を改めて検証する書でもあったからだ。
自叙伝としてもすぐれていると同時に、政治史・経済史として徳川政治のある時代をきちんと整理している点においては客観性に満ちていて、自己陶酔的な″私的気分″は少ない。新井白石における隠居力は、この自伝を書くことによって、
「現役時代の正確な検証」
を行なったと言っていいだろう。
その意味では白石は、現役時代を無我夢中で過ごしたために、いちいち立ち止まってその日にやったことや、その年にやったことを振り返っている暇はなかった。それほど彼は正徳の治″の展開に熱を込めていたのである。
隠居後は、まるで急行列車のように行き過ぎてきた現役時代を振り返り、「時間を遡ってその検証を行なう」という、根気強く、また意義の深い仕事にあてたのであった。正徳の治″が王道政治を目指した徳川政治の一時期を示すものであり、同時に白石自身が、
「鬼ではなく、人間味溢れる人物であった」
ということを、別に彼が強調しなくても、自然にうかがい知れる描写がとられている。
これはあくまでも白石の学者としての合理性・客観性に基づくもので、独りよがりな自己陶酔がまったくないことが、それを立派に検証したのである。 |
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