中岡慎太郎 (1838-1867) 土佐藩士・陸援隊

中岡慎太郎  中岡は天保九年(1838)土佐藩柏木村の大庄屋の子として生まれた。15歳で間崎哲馬に師事し、20歳のとき高知城下の武市瑞山道場に入門。坂本龍馬とも出会った。
 文久元年(1861)土佐勤王党に加わり、攘夷運動に投じ、のち藩士に取り立てられた。しかし、文久三年(1862)の八・十八政変を契機に勤王党の主張が次第に藩当局と対立するようになり、坂本龍馬の脱藩と前後して藩を出て長州に赴き、三田尻にいた三条実美に属した。のち長州尊壌志士と共に行動し、禁門の変に参加して負傷、四国連合艦隊との交戦にも加わった。
 元治元年(1864)第一次長州征伐に際しては、長州藩忠勇隊総督として戦う準備をしていたが、藩は俗論派が握ることになった。しかし高杉晋作らのクーデターにより息を吹き返した。
 慶応元年(1865)、中岡は同志の坂本龍馬と共に薩長同盟実現のために活動を開始。万事順調に運ぶかと思えたが一時、危ぶまれる場面もあったが、苦心の末、慶応二年(1866)一月二十一日に京都薩摩藩邸で結ばれた。のちに中岡が薩土盟約にも尽力している。翌三年には、坂本らの海援隊に呼応して陸援隊を編成し隊長となる。
 同年十一月、京都河原町の近江屋にひそんでいた坂本を訪ね、討幕挙兵について激論を交わしていたところ、刺客によって撃を受ける。20ヵ所に傷を受け、重傷ながらも2日間意識を保つが17日に死去する。

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