岩倉具視 (1825-1883) 公家

岩倉具視  公家の堀河康親の次男として生まれる。14歳の時、岩倉家の養子となる。やがて孝明天皇の侍従となり、和宮降嫁では成功おさめるが、佐幕派の烙印を押され追放される。その後、数年間、岩倉村で不遇の生活を送る。
 やがて、中岡慎太郎などの諸藩の志士と交流をはじめる。薩摩藩の大久保利通と連携して朝廷内の親幕派追放を画策。慶応三年(1867)討幕の密勅降下に導く。しかし同時期の徳川慶喜らの大政奉還によって窮地に陥る。朝廷は諸侯会議を開くことにし、徳川慶喜および土佐藩など大政奉還派は、慶喜主権確保を意味するこの会議に期待したのである。これに対し、岩倉、大久保、西郷らの討幕派は宮廷クーデターを起こし、「王政復古の大号令」を画策し成功。
 維新後、参与、議定などの要職を歴任する。右大臣になると、欧米諸国との条約改正を交渉する特命全権大使として、使節団を率いて渡航する。明治四年(1874)赤坂喰違で高知県の不平士族武市熊吉らに襲撃され負傷する。その後、自由民権運動を抑え、皇室を擁護する華族制度の確立に尽力する。1883年、病死する。

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